約 186,807 件
https://w.atwiki.jp/sangokusisenki/pages/31.html
劉備 特性:英雄 兵科:歩兵系 友好武将 関羽・張飛・諸葛亮 備考 総合能力値第13位。曹操、孫策に比べ総合能力は低いが統率だけこの二人よりも高い。決して無能ではない。 劉備は歩兵で育てるのみ 覚える戦法が激励、援護、後詰、一斉攻撃、後方奇襲と統率系ばかりなので連鎖に組込みやすい。 他にも反客為主、偽退誘敵、声東撃西、火計なども覚えるが兵科の特性的に知謀を上げにくいことと劉備の知謀も低いのですべて覚えさせず統率メインの戦法を覚えた方がいいためいくつか保留にさせると良いだろう。また、特性を生かすためにも早めに山岳兵にして統率を上げよう。士気を上げ、特性を発動させれば頼れる兄貴になるはずだ。 余談だが劉備のグラフィックは真・三国無双2の劉備によく似ている。アプリ版ではマントがない。 以下、攻略本から抜粋 使者にするのも一つの手 統率系戦法が無制限になる特性「英雄」が発動すれば、戦場で連鎖の起点として重宝する。 しかし彼の長所はその人脈。劉備と友好関係の武将は多いのだ。国力に余裕があるときは、劉備を使者にして人材発掘に努めてもいい。 以下セリフ集 激励・・・「ここで勝負に出るぞ!」 偽退誘敵・・・「反転するぞ!」 援護・・・「手伝わせてくれ!」 単騎駆・・・「どけ!死んで母親を悲しませるな!」
https://w.atwiki.jp/socmyth/pages/271.html
劉備(りゅう び)は、中国、三国時代の武将であり、三国志の登場人物。 参考Webリンク 劉備 - Wikipedia 作品 パズル ドラゴンズ 劉備 明徳の英傑神・劉備 護誓の英帝神・劉備 克己の龍英傑・劉備 ミニ劉備 明徳の英傑神・ミニ劉備 熱宴の龍英傑・劉備 覚醒劉備 聖宴の龍英傑・劉備 転生劉備 タグ 三国志 歴史上の人物
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/200.html
シナリオ解析勢力図 勢力一覧 外交関係 各勢力分析何進 曹操 荀彧 劉表 孫堅 区星 張燕 馬騰 孔融 劉焉 プレイ日記 シナリオ解析 勢力図 後漢を簒奪した何進に対し、諸侯が共同して戦うIfシナリオ。 ある種、反董卓連合を想起させる構図である。 他に例がない特殊な勢力も多く、見所は多い。 勢力一覧 色 勢力 爵位 軍師 現役 兵士数 難度 支配都市 保有技巧 何進 皇帝 袁紹 26 123,000 ☆ 洛陽、長安、宛 - 管亥 - - 8 55,000 ☆☆☆ 北海 槍兵鍛錬、熟練兵 張燕 - - 4 42,000 ☆☆☆ 南皮 槍兵鍛錬、騎兵鍛錬、熟練兵 董卓 州刺史 李儒 11 40,000 ☆☆☆☆ 天水 騎兵鍛錬 区星 - - 1 33,000 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 長沙 - 袁術 - 楊弘 6 27,000 ☆☆ 汝南 - 丁原 州刺史 - 7 26,000 ☆☆☆ 晋陽 - 荀彧 - 荀攸 7 26,000 ☆☆☆ 許昌 車軸強化、工兵育成 公孫瓚 州刺史 関靖 8 24,000 ☆☆ 北平 騎兵鍛錬、良馬産出、騎射 孔融 州刺史 華歆 7 24,000 ☆☆ 平原 - 劉焉 州刺史 - 3 24,000 ☆☆☆☆ 江夏 - 劉表 - 蔡瑁 8 22,000 ☆☆☆ 濮陽 - 陶謙 州刺史 - 4 22,000 ☆☆☆☆☆ 建業 - 曹操 - - 5 20,000 ☆☆ 陳留 - 劉備 - 関羽 5 18,000 ☆☆ 薊 - 馬騰 - - 5 18,000 ☆☆☆ 武威 騎兵鍛錬、良馬産出 婁圭 - 蒯良 3 18,000 ☆☆☆☆☆ 襄陽 - 陳珪 - 糜竺 4 18,000 ☆☆☆☆ 下邳 - 張魯 - 閻圃 3 16,000 ☆☆☆☆☆☆ 小沛 - 孫堅 - 程普 9 16,000 ☆☆ 呉 弩兵鍛錬 厳顔 - 黄権 2 16,000 ☆☆☆☆ 江州 - 龐羲 - - 2 14,000 ☆☆☆☆☆☆ 梓潼 - 外交関係 数字は友好度。 同盟 険悪 何進 管亥 張燕 董卓 区星 袁術 丁原 荀彧 公孫瓚 孔融 劉焉 劉表 陶謙 曹操 劉備 馬騰 婁圭 陳珪 張魯 孫堅 厳顔 龐羲 何進 - 0 0 0 0 10 0 10 0 10 10 30 30 0 0 10 30 10 30 0 10 30 管亥 0 - 90 30 90 30 20 10 10 10 20 20 10 20 10 50 30 30 50 10 30 30 張燕 0 90 - 50 90 30 20 20 30 30 30 50 30 50 20 50 30 30 50 20 30 30 董卓 0 30 50 - 50 50 10 30 50 50 50 50 30 50 50 50 50 50 50 10 50 50 区星 0 90 90 50 - 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 30 50 50 袁術 10 30 30 50 50 - 50 40 50 40 50 50 50 50 50 50 50 70 50 70 50 50 丁原 0 20 20 10 50 50 - 50 60 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 荀彧 10 10 20 30 50 40 50 - 50 90 50 50 50 70 50 50 50 50 50 50 50 50 公孫瓚 0 10 30 50 50 50 60 50 - 50 50 50 50 50 90 50 50 50 50 50 50 50 孔融 10 10 30 50 50 40 50 90 50 - 50 50 50 50 60 50 50 50 50 50 50 50 劉焉 10 20 30 50 50 50 50 50 50 50 - 50 50 50 70 50 50 50 70 50 50 70 劉表 30 20 50 50 50 50 50 50 50 50 50 - 50 50 50 50 70 50 50 50 50 50 陶謙 30 10 30 30 50 50 50 50 50 50 50 50 - 50 50 50 50 60 50 30 50 50 曹操 0 20 50 50 50 50 50 70 50 50 50 50 50 - 50 50 70 50 50 50 50 50 劉備 0 10 20 50 50 50 50 50 90 60 70 50 50 50 - 50 50 70 50 50 50 50 馬騰 10 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 - 50 50 50 50 50 50 婁圭 30 30 30 50 50 50 50 50 50 50 50 70 50 70 50 50 - 50 50 50 50 50 陳珪 10 30 30 50 50 70 50 50 50 50 50 50 60 50 70 50 50 - 50 50 50 50 張魯 30 50 50 50 50 50 50 50 50 50 70 50 50 50 50 50 50 50 - 50 50 50 孫堅 0 10 20 10 30 70 50 50 50 50 50 50 30 50 50 50 50 50 50 - 50 50 厳顔 10 30 30 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 - 50 龐羲 30 30 30 50 50 50 50 50 50 50 70 50 50 50 50 50 50 50 50 50 50 - 各勢力分析 何進 本シナリオの中心勢力である、新たに漢王朝を樹立した新世代の王莽。 位置づけ的には、史実シナリオの董卓に近く、圧倒的な物資と破綻した外交関係が共通している。 取り敢えずは、曹操・荀彧の二大頭脳を速攻で撃破し、東からの脅威の払拭と人材確保を図りたい。 その後は、矛先を変えて西の群雄を打倒し、後背の安全を得たいところである。 皇帝の地位ゆえの動員兵力の多さを最大限に生かし、群雄を各個撃破していくという基本を忘れなければ勝利は揺るがないだろう。 曹操 S2と似た様な状況。 陳留を棄てて鄴に移るとかなり楽になる。 この地には趙雲や田豊等在野が多く、配下の頭数を一気に増やせる上に、大都市なので戦力も早目に整うだろう。 また、武将の質的にも北には呂布や関羽・張飛と言った最強クラスの武将が集中しているので、 河北を平定し彼等を得られれば最早勝ったも同然である。 荀彧 荀彧と同じ河南出身者の士丈夫たちが配下だが、見事に文官しかいない。知略はトップクラスだが、統率や武力が低く、普通に戦うと負ける。 上級までなら1ターン目から曹操軍と同盟できるので、すぐ鄴に移れる。超級でも1ターン目に金2500を渡せば同盟できるし、もしくは政治の高い武将を親膳に向かわせると1ターンで親密になるので2ターン目には同盟できる。 在野の張郃や趙雲を登用するために鄴を寡兵占領した方がいいだろう。鄴に行かず許昌で粘る場合、年代経過の許褚が出るまで張郃以外の武官が雇えない。 上級までなら、荀彧の特技と高い知力のおかげで、何進が侵略してくるまでに余裕を持って登用でき、何進軍とも計略以外で渡り合えるようになる。超級は曹操軍に動いてもらうか、運が良くないと、その余裕はない。 ただし、鄴の在野・未発見武将は郭図を嫌悪する武将が多く、袁家特有の人間関係のせいで忠誠度と部隊管理には気をつける必要があるだろう。 袁術軍は計略で足止めが出来るので、先ずは何進軍を意識して施設を建てたい。 知略の低い連中はどうとでもなるが、計略が通りにくい盧植や弓神の黄忠には注意。 敵は森に入ることが多く、伏兵が効く。兵器隊や黄忠隊の気力を下げるのに利用しよう。 劉表 史実と違い荊州でなく濮陽にいるが、ここは在野武将が豊富で空白地の鄴が隣にあるという非常に有利な場所。 何進を除く勢力の武将数が非常に少ないこのシナリオで、在野を大量に得られるアドバンテージは大きい。 蒯良、蒯越兄弟がいないのは痛いが、2都市で内政しつつ人材を掘り尽くせば十分な戦力が整う。まずはその戦力で河北を統一してしまおう。 在野には知力が非常に高い武将が多いので、計略府を建てて流言→引き抜きコンボも狙うのもいい。丁原や管亥には特に有効だ。 孫堅 一気に何進を超える大勢力を作る事も容易だが、問題が有るとすれば武将の頭数が足りなくなる事か。 人材の見込めない空白地はなるべく取らない方がいいだろう。 出来るだけ早目に北上したい。 区星 一人ぼっちな上に開始が寿命年。下手すると、配下0で逝って滅亡も有りうる。 ここは座して死を待つより、積極的に攻めていこう。 まずは在野の桓階を通い詰めてゲットしたら、江陵に移転。 劉焉や婁圭と接してしまうが、彼等も頭数不足で容易には攻めてこないので問題無い。 むしろ1部隊とかで攻めてたら捕縛のチャンス。 江陵にも董和が居るので何顧してでもゲットしよう。 その後は、文官しか居ない婁圭を力攻めor水軍適性を研究して劉焉を長江から攻撃。 2勢力を吸収すれば何とか頭数が揃う。襄陽を本拠地にして何進の侵攻を防ぎつつ、江東を狙っていこう。 何進とのガチは兵力的にきつく、益州方面は人材が少なすぎてお勧め出来ない。 また、北の2勢力を放置し、早目に寿春に向かうと言う手もある。 ここには蒋欽、189年には廬江に周瑜・周泰が登場するのだ。 彼等を得られれば、戦闘力的に孫堅等中堅所とも互角に戦えるはず。 そしてまた、例え道半ばに斃れようとも、周瑜が立派に後を継いでくれるだろう(え 張燕 配下は黄巾の卞喜、眭固など。質が悪いがこの年代は鄴や平原、南皮には袁紹系列の武将が在野に多数いるので意外と人材には困らない。 平原の孔融を倒してから鄴に向かい、河北を時計回りに攻略するのがよさげ。 北海の管亥とは同盟関係にあるものの、濮陽の劉表がいやらしいので一息に鄴まで平定したい。 馬騰 いつも通り武威にいるが、武の要の馬超(189年登場)がまだ成人しておらず、配下でまともに使えるのは、龐徳、韓遂くらい …と思いきや在野にはなんと賈詡が居るので、登用し董卓の侵攻に備えたい。 防衛戦を展開しつつ、隙を見て董卓を吸収すれば、一気に戦力が整う。 賈詡さえ登用できれば、後の展開が非常に楽だろう。万一董卓の手に渡ると、李儒のダブルコンビが非常にウザい。 孔融 配下には文官系の武将のみが揃う。北の張燕、東の管亥は大量の兵力を動員することの出来きる勢力で、南の劉表は在野に優秀な武将を抱え、更には台頭前の曹操も・・・。 難しい勢力に囲まれ大変厳しい状況に見えるが西隣には空白地の鄴が。しかも在野には張郃や趙雲、田豊や沮授をはじめとして武将が多数ねむっている。 やや文に偏重するものの、彼らを抱えれば質・量共に十分な戦力が整う。 周囲に多数の勢力が存在するのでまずは防衛から入ることになるだろう。平原は守りにくいので速攻で鄴へお引越し。 丁原や黄巾軍、張燕の勢力へは高知力武将の計略がよくささる。曹操や劉表はやや難敵だが、所属武将の優秀さで十分補えるはず。 物量で押されそうなら兵器を開発して棺桶作戦も視野に入れよう。そのうちに物資と兵力を蓄え徐々に領土を拡大していく。 守りやすい晋陽が最初の攻略都市だろうか。丁原を滅ぼせば武力武将の充実。文武に質量とも申し分なくなる。更に北の劉備・公孫瓚も敵ではない。 最初さえ凌げば一気に駆け上がることができる。 劉焉 初期配置は、自ら険阻な蜀の地に赴いた史実とは違い内政も防衛も不向きな江夏。初期人材は息子と呉懿の二人。 江夏で内政するよりは人材登用に行動力を使いたい。まず江陵の董和を登用し、かなり遠いが鄴の張郃にも声をかけてみよう。 相性もそれほど離れておらず、皆魅力も高め(最低値は劉璋の65)なので可能な限り登用を繰り返してみるのも手。 ここからの進路は蜀入りしたり荊南に割拠したりいろいろできるが、さらに人材を求めるなら廬江を占拠し内政しつつ二年待てば周瑜に周泰も登用できる。 寿春まで行けば初年度から蒋欽が登用できるが、中原の群雄と接触するので弓将は惜しいが空白地にしておくのが無難かもしれない。 ここまでで数年経過しているが、超級でも荊州方面は動きが鈍い。この位置からの定石とすれば端をとれる建業方面に攻め、孫堅軍団と戦うことだろうが それ以外にも柴桑方面に行き、長沙の区星を蹴散らし荊南で安全に拠点を作ることもできる。 あまり戦略に一貫性が無い記述をしたが、色々な戦略がとれて面白い勢力の1つである。 プレイ日記 荀彧/上級 龐羲/上級
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/880.html
[部分編集] 『【ゆったり】三国志11PK』白馬伝 http //www.nicovideo.jp/watch/sm10965578 使用ゲーム 三国志11PK シナリオ・担当勢力 英雄集結・公孫瓚 シナリオの設定 上級 動画形態 紙芝居あり、投稿者コメント 登録武将 なし 史実武将の扱い - 縛り 特技・捕縛、一騎打ちでの防御重視の多用禁止 投稿時期 2010年06月06日 投稿者名 ヴァイツェッカー マイリスト 白馬伝 関連タグ * ニコニコ大百科 『*****』 関連サイト - ニコ証 証券番号or動画タイトル 備考 - [部分編集] 簡単な解説 世が乱れた後漢末期・・・群雄割拠の時代に一人の男が中華のすべての馬を白馬にすると言う野望を抱く [部分編集] 登場人物 公孫瓚(伯珪) 君主。白馬将軍、白馬長史、イナゴなどさまざまな愛称を持つ。 白馬義従を率いて、中華の馬を白馬にする野心を燃やす。 「白馬四天王」筆頭。 |統84 武83 知70 政46 魅77 槍B 戟C 弩A 騎S 兵B 水C 特技:白馬 公孫続 息子。一の巻時点での活躍はなし。 「白馬四天王」の一人。 |統63 武68 知54 政63 魅66 槍C 戟C 弩B 騎S 兵B 水C 特技:白馬 公孫越 従弟。名族・袁紹の襲来に際し、迎撃軍の総大将として一軍を率いる。(一の巻) 「白馬四天王」の一人。 |統74 武72 知47 政54 魅67 槍B 戟C 弩C 騎S 兵B 水C 特技:白馬 公孫範 従弟。一の巻時点での活躍はなし。 「白馬四天王」の一人。 |統73 武69 知64 政62 魅61 槍C 戟C 弩B 騎S 兵B 水C 特技:白馬 厳鋼 武官。修行中に干詮を見出し、一騎打ちの末、勝利し彼を推挙する。公孫越の副将として袁紹迎撃軍に加わる。(一の巻) |統68 武71 知40 政51 魅52 槍C 戟B 弩C 騎A 兵B 水C 特技:なし 許攸(子遠) 軍師。公孫越の登用により、袁紹軍から公孫瓚軍へ。しかし、密談を数度行い、すでに反骨の相が出ている。(一の巻) 元袁紹軍こともあり、迎撃軍参謀となる。(一の巻) |統36 武21 知80 政57 魅23 槍C 戟C 弩C 騎B 兵C 水C 特技:なし コメント欄 簡単に作ってみました。みなさん、どんどんやっていこう -- 名無しさん (2010-06-08 23 58 13) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kekewiki/pages/49.html
りゅうび 劉備 【歴史】 中国・三国時代の人物で、蜀の初代皇帝。字は玄徳。 三国志をあまり知らない人でも、劉備と諸葛亮(孔明)の名くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。 三国志演義においては漢王朝復興のために立ち上がった正義の人で、聖人君子のような人柄で描かれているが、史実においてはあくまでも、天下統一の大望を抱いて立ち上がった群雄の一人である…とケッケは解釈している。 彼の殆ど唯一ともいえる武器は人徳であり、その人徳に惹かれた有能な人物たちが、彼を蜀の皇帝にまでのし上げた。曹操と違って彼一人ではほぼ何も出来ないが、関羽、張飛、そして諸葛亮などの天下にその名を轟かせる有能な人材たちを上手く使いこなすことによって、魏の曹操・呉の孫権と肩を並べるまでに至った。 君主としてはやや優柔不断さがある。特に荊州の問題は致命的。 劉備は曹操に敗れて劉表が治める荊州に身を寄せていた時期があったが、劉表の死後、諸葛亮から「曹操に対抗するため荊州を奪ってしまえ」と言われる。その際「恩を仇で返すような真似は出来ない」と諸葛亮の進言を退け、結果、何万人にも上る難民を抱えたままの曹操軍からの逃避行という事態を招いている。 結果が良かったか悪かったかは別として、領土を得るチャンスが目の前に転がっているにもかかわらずそれを蹴るというのは、君主として愚行ではなかろうか。曹操ならば間違いなく獲っていただろうと思われる。 まぁこの件に関しては、ここで荊州を獲ったら曹操が黙っていただろうか?という見方もある。 しかし彼がそのように義を重んじる人物だったからこそ、臣下の者たちも付いてきたし、民衆の信頼を勝ち得たのだと考えれば、彼もまた己の信念を曲げることなく突き進み、結果三国の一角を担う英雄になったのだと言うことが出来るだろう。 強大な曹操、伝統の孫権、そして信義の劉備という三者三様のスタンスがあったわけである。 自分ひとりでは何も出来ないが、信義に厚く人をよく使うというその姿は、漢をうち立てた偉大な祖先である高祖・劉邦そのものである。 惜しむらくは、敵が項羽のような猪武者ではなく、中国が生んだ傑物・曹操だったことだ。 項羽レベルの相手ならば、関羽も張飛もいたことだし、何より劉邦ほど優柔不断ではなかったので、楽に天下が取れただろうに…。 ここまで読んでいただければ分かると思うが、僕は劉備に対してあまり好感を持っていない。むしろその最大の敵である曹操の方が好きだ。 劉備が動けば大抵は世の中が乱れ、呂布・袁紹・劉表(というか荊州)など行く先々で破滅を呼び起こしてきた(←言い過ぎ)。大義名分を掲げて天下をかき乱した張本人、と言っても過言ではないと思う。この男さえいなければ、曹操によって天下は統一されていたかもしれない。 しかし劉備がいなければ三国志はまったく面白くないし(そもそも成立しない)、恐らく劉備好きな人が曹操に抱いているような感情を、僕も劉備に持っているのだろうと思う。巨人に対する阪神、みたいな。 色々書いてきたが、それでも劉備が三国志を代表する英雄の一人であることに変わりはない。それは誰もが認めるところであろう。
https://w.atwiki.jp/kmy-sangokusi/pages/32.html
大見出し 劉備(指揮者) 【経歴】 7期 劉備 8期 劉備 にゃんにゃん共和国仕官 9期 劉備☆指揮者 にゃんにゃん帝国ラス2軍師 闘将10位 TEN期 劉備☆指揮者 蜀建国→玖楼 闘将4位 11期 今井兼平 合衆国ニッポンラス2軍師 12期 perc@ベリー 天魏翔国軍師 13期 名も無き吟遊詩人 ががん国→お子様☆らんち(統一) 闘将8位 8期では序盤においてばかばかしいくらい(米金と共に4桁)資金難に喘いだ人。一武将として活躍したが、積極的に作戦立案する姿もあった。 9期 援軍の力を自分の実力と勘違いして、敗北 にゃんにゃんの評判を地に落とす TEN期 前期の反省を全く生かすことなく、更には持ち味の大量援軍作戦も、敵側の徴発で中途半端に終わる。 11期 机上の空論を振り回し、メイドインへブンを倒そうとするも、構想はことごとく失敗。国民の意識が異常に低いにもかかわらず「最高の期」というあたり、今まで相当悲惨な状況であったことが予想される。 12期 梁山泊を追い詰めるも、大量援軍反対の風潮に敗北。 【紹介】 自分を「さん」付けで呼ばれるのを嫌い、他の人は呼び捨てや、「さん」以外の好きな呼び方で呼んでいる。誰とでも分け隔てなく接するので、話しやすい武将ではなかろうか。 「人生は楽しく」がモットーで、8期は国宛では業務連絡は 殆どしないでいつもチャットを楽しんでいた。 外交戦略や戦争戦術の立て方から、いいイメージをもたれないこともあるが、 本当はとてもピュアな人である。 軍師としてカリスマ性や説得力、戦争指揮力はやや不足気味かもしれないが、一武将としては一級。指揮者としてもそれなり。 最近、金欠になることが多いのが難点。 また、外交戦術はかなりのもので、常に敵よりも優位な状況を作り出す。しかしそれは他の武将からは「数に頼る卑怯者」の謗りを受け、評価されることはなかった。 ※3期・11期における、劉備さんとは無関係。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36551.html
登録日:2017/04/01 Sat 17 49 57 更新日:2024/09/14 Sat 05 03 32NEW! 所要時間:約 21 分で読めます ▽タグ一覧 RX-78 だまらっしゃい カリスマ ガンダム試作1号機 ユニコーンガンダム 三十六計逃げるに如かず 三国志 三国志演義 世界史 中国史 仁義 元ヤン 兄貴 劉備 北京 双剣 君主 後漢 後漢皇族 昭烈皇帝 桃園三兄弟 武将 涿郡 皇帝 福耳 義兄弟 色白 草鞋屋 蜀 蜀漢 逃げ足 開祖 劉 備(りゅうび)とは「三国志」の英傑の一人である。 字は玄徳。後の世に昭烈皇帝……とはあまり呼ばれない。 幽州、涿の人。 生年:161年 没年:223年 【出生】 涿郡、今でいうと北京のあたりで生まれ育つ。当時の中華圏の北東端であり、後に勢力を立てる蜀とは対角線上の真逆である。 生家は古くは前漢の王家までさかのぼる属尽(世代を経て土着化した元皇族のこと)の家系で、代々州の官吏を務め、祖父は県令にまで出世している。 同じように豪族・官家化した無数の劉氏の中では特筆するような家ではなかったが、少なくとも庶民の家とは言えない出自ではある。 「朝廷の祭祀の費用を用立てることができなかったため、没落してしまったらしい」という説があるが、詳細は不明である。 しかし劉備が生まれて早くに父親が急死してしまい、たちまちの内に窮迫してしまった。 幸い間もなく一族の支援によってそれなりの生活に戻ったようだが、なんというか、既に後の人生を予感させる激動の幼少期である。 【青春】 14歳になった劉備は、一族の支援の下に河北の名士盧植の元に遊学に出されることになった。 極貧の生活を体験し、親切な親戚に学資を出してもらって勉学に励む……という美しい苦学生的背景を持っていた劉備だったが、しかし彼は励まなかった…勉学には。 励んだのは闘犬や音楽やファッションであった。受験の反動で遊びまくる大学生の方でした。リアルすぎる。 しかし研究室にとじこもってひたすら学識を深めていた学生より、サークルやコンパでコミュ力向上やコネ作りに励んだ学生の方が社会で成功するというのも、また一つの真実である。 当時の劉備は既に若い学生たちから人気が高く、先輩の公孫瓚と共に世代のリーダーとして立てられていた。 この時代の経験と評判は、彼にとって生涯の財産となる。 【立つ】 184年に黄巾の乱が発生すると、劉備は地元で私兵を編成し官軍に参戦する。後に股肱の臣となる関羽、張飛とはこの頃からのつきあい。 この戦ではそれなりの武功を上げ、戦後は地方の県尉(*1)に封じられる。 しかしある時、中央から来たお役人の態度が気に入らなかったので二百発もぶん殴って逃走するという暴挙に及び、速攻で野に下ることになった。これが若さか・・・ 劉備はこの後も地方の賊を討伐して再び官職に任じられたり、それを賊軍に奪われたりと波乱万丈な半官僚生活を5年以上にわたって送ることになる。 【怒涛の移籍ラッシュ】 そして時191年。賊によって任地を追われた当時30歳の劉備は、これより39歳になるまでの9年間をかけて怒涛の移籍ラッシュを繰り広げることになる。 この流れを端的に述べると ◆任地から逃げて兄貴分(兄弟子)である公孫瓚の下に逃げ込み、「公孫瓚の客将」「袁術の下請け(*2)」に。 ↓ ◆公孫瓚から徐州の陶謙の下に援軍として送られ、そのまま陶謙にひきとめられて「陶謙の客将」に。 ↓ ◆陶謙の遺言で徐州牧(州の長官)に指名され、「徐州の統治者」に。 ↓ ◆迎え入れた呂布に逆に徐州を乗っ取られ、曹操の下に避難。「曹操の客将」に。 ↓ ◆董承によって曹操暗殺計画に参加させられ、コトが露見する前に再び徐州に派遣させてもらって曹操から離反。再び「徐州の統治者」に。 ↓ ◆曹操自身が攻めてきたので敗走。河北の袁紹の下に逃げ出し、賓客として迎えられる。「袁紹の客将」に。 ↓ ◆袁紹に荊州の劉表との連携を進言し自ら軍を率いて南進するが、袁紹自身が官渡の戦いで敗戦。孤立してしまい、劉表の下に逃げ込んで「劉表の客将」に。 「主君を7度は変えねば武士とは言えぬ」と豪語した藤堂ナントカさんも納得せざるを得ないであろう、凄まじい遍歴である。 乱世とは言えここまでコロコロ立場を変えてきた人間も珍しいが、その一見無節操な移籍史には大きな特徴がある。 それは仕えた先を裏切ったことがないという点である(何気にこれは、藤堂ナントカさんも同じ)。 転身の末にかつての敵勢力に所属したことはあるが、敵対的に独立したことも、以前の君主を敵としたことも無い(袁紹の下に逃げ込んだ時は、既に公孫瓚は滅びている)。 唯一の例外が曹操への叛逆だが、これに関しては「皇帝陛下の密勅を受けたため」という大義名分がある。 このため当時の世間的な劉備のイメージは「流浪の身ながら義侠心に厚い忠義の人」という非常にクリーンなものであり、また曲りなりにとはいえ朝廷を牛耳るとされた曹操への反乱によって「曹操の専横を阻む漢朝の忠臣」という扱いも受けるようになった。 後漢末は様々な点で名士たちからの「評判」が物を言った時代である。劉備の圧倒的人気の前には、曹操や袁紹ですら賓客の礼を取らざるを得なかったのだ。 【久々の独立起業】 劉表の元で久々に落ち着いて時を過ごしていた劉備だったが、208年になると北の憂いを取り除いた曹操が荊州への本格的侵攻を開始する。 おまけにその矢先に劉表が病死し、後を継いだ劉綜は最前線の劉備に無断で曹操への降伏を決定してしまった。 劉備は曹操への帰順を拒んだ多くの人々と共に、懇意にしていた劉表の長男、劉琦が守る江夏へと逃亡する(長坂の戦い)。 一時的に安全を確保した劉備だったが、しかし荊州の大半を制した曹操の前には残る江夏も時間の問題だった。 そこで劉備はいまだ江南で独立を保つ孫権勢力に眼をつけ、荊州に来ていた呉の臣魯粛に仲介を依頼し、荊州で配下に迎えた諸葛亮を送って同盟を締結した。 これに対し曹操はひるむことなく大軍を率いて南下、江南の武力制圧を試みるが、長江で孫権軍の奮闘に阻まれ大敗を喫してしまう(赤壁の戦い)。 これによって曹操の圧力から逃れた劉備は、逆侵攻した孫権軍と曹操軍が対峙している隙に、荊州南部を次々と攻略する。 おもいっきり漁夫の利を得られた形となった孫呉は不快を示すが、周瑜や程普、魯粛といった重鎮たちが次々死んでいったゆえの混乱もあり、劉備はこれを上手くはぐらかしつつ呉との同盟を堅持しつつも自身の勢力基盤を固めていった。 【蜀取り】 そして数年後、益州を支配していた劉璋から「漢中の張魯との抗争を助けてほしいので益州に兵を入れてほしい」という要請が届く。 どう考えても乱世で他国の領主に出していいお願いじゃないだろ、と思われるかもしれないが、前述の通り劉備は「義を重んじ、私欲がないクリーンな将軍」として知られており、劉璋や側近が彼なら安全だと考えたとしても不思議はない。 しかし実はこの要請の裏には、劉璋の臣下である張松や法正らによる策謀があった。 彼らは既に劉璋に見切りをつけており、劉備を新たな益州の君主として迎えるためにこの策を推進していたのである。 劉備は張松との相談の末、これを了承。劉璋の救援要請にこたえるふりをしつつ、その実乗っ取りの腹を固めて益州へと向かう。 大宴会と共に益州に迎えられた劉備は、ほどなくしてヤクザレベルの見事な因縁(*3)をつけて劉璋に宣戦布告。攻略戦を開始する。 途中でホウ統を失うなど苦戦もしたが、2年間に渡る侵攻の末、ついに益州を手に入れることに成功した。 ちなみに劉璋を裏切った時には劉璋側の関所にいたが、そこの兵士の家族を人質に取り、無理やり配下に組み込んだという逸話が残る。 【頂点】 こうして荊益二州の主となった劉備は、法や制度を整備して人材の登用や国力の増大に努め、その勢力を固めていった。 そして218年、ついに悲願であった曹操勢力への侵攻を開始する。 その第一の目標となった漢中を守るは曹魏の勇将夏侯淵であったが、勢いに乗る劉備軍には抗し得ず、定軍山での戦いにおいてまさかの戦死。 総大将を失った魏軍は大きく後退し、漢中の要衝をことごとく劉備に明け渡す結果となった。 ちなみに劉備本人は夏侯淵のことを「せっかちな奴だ、いつかは戦死する」と評価しており、見事に自軍によってその最後を的中させた形となった。 その後間もなく曹操率いる魏軍本隊も着陣するが、既に守りを固めた劉備軍を崩すことができず、無理攻めを避けた曹操は撤退。 初戦から約20年にして、曹操に対する劉備の初勝利であった。 またこの動きに前後し、荊州からは関羽率いる一軍が北上。長江に面する樊城を攻囲し、それを救難すべく送られた魏の援軍をことごく退けた。 そして漢中を抑えた劉備軍はさらに別動隊を送って上庸・房陵も攻略し、樊城方面への直接的な連絡路もつなげることに成功する。 【転落】 こうしてその歴史における最大領土を達成した蜀漢であったが、一方で荊州を巡った孫権との外交関係が極めて危険なことになりつつあった。 呉「荊州は赤壁の戦いの後に、劉備の要請で一時的に貸与した地方であるから、いい加減返せよ耳ヤロウ」 蜀「荊州は劉表の没後に劉琦が受け継ぎ、その死後に劉備が継承したものであるから、元々俺らの土地なんだよアル中」 現代の領土問題と同様、この主張は双方共に事実を含んでいる。 が、呉側は「貸す貸さない以前に、荊州全土を呉が領有していたことは一度もない」という事実には頑なに触れず、 蜀側は蜀側で「経緯はどうあれ『返す』という発言をしてしまった」という事実を綺麗にスルーしており、両者ともに自分に都合のいい事実だけを主張していたのである。 そして現代ならともかく、乱世においてこういった平行線の解決法というのは相場が決まっている。 217年3月、孫権は濡須口で何度目かになる魏軍の攻撃を退けた後、曹操に対して降伏を申し入れた。 無論一時しのぎのため、形だけの降伏だけであることは誰の目にも明らかではあったが、しかし劉備や諸葛亮はあるいはこのことをもっと重要視すべきだっただろうか? 219年夏、魏を攻撃していた関羽軍は、突如として呂蒙率いる呉軍に本拠地江陵を奪われた。 後方を喪失した関羽軍は敵陣のど真ん中で孤立することになり、たちまちその軍勢は雲散霧消、関羽本人も呉軍によって殺される始末となった。 日の出の勢いにあった蜀漢は、長年の根拠地であった荊州、積年の主力であった関羽軍を一度に失ってしまったのである。 【昭烈帝】 魏への侵攻を諦めて漢中の復興と経営に専念していた劉備だったが、220年に魏の曹丕が献帝より禅譲を受けて皇帝の座につくと、これに対抗し漢の継承者として皇帝を名乗る。 実際の献帝は禅譲後も山陽公として丁重に扱われたが、蜀では献帝が殺害されたものと考え、葬儀まで行っていた。 蜀には誤報が伝わったとされるが、大義名分を立てるための大本営発表と見る説もある。 そして221年、関羽の一件で呉への復仇の機会をうかがっていた劉備はついにその時が来たと判断。呉への侵攻を開始した。 皇帝が部下の個人的復仇でガチ戦争を仕掛けるというのは、常識的に考えればかなり問題行動である。 むしろ「仇討ちは大義名分に過ぎず、呉が荊州を奪って時間が経ち、荊州に地盤を築かれる前に荊州奪還を目指した」と見るのが素直な見方かもしれない。 蜀漢には諸葛亮を始め末端の兵士に至るまで荊州出身者が多く、彼らを繋ぎ止める意味でも、また彼らが蜀漢政権内部で勢力を固める意味でも、荊州奪還は急務ではあった。 だが、正史でも関羽の復仇と見られており、傍から見て仇討ちを考えるほどの絆があったことは確かであろう。 劉備軍は当初破竹の勢いで進撃したが、江陵の手前の夷陵を含む一帯でついに攻勢限界に達してしまい、中途半端な包囲軌道のままで戦線は膠着する。 呉軍の指揮を任されていた陸遜はこれを見て取ると、水軍と陸軍を縦横に動かし、大規模な夜襲と火攻めを敢行。 伸びきった陣を各所で寸断された劉備軍は壊滅的な打撃を受け、なすすべもなく壊走した。 陳寿によって「正史」蜀志に伝が立てられた人物は70人以上に達するが、その中で「夷陵の戦いに参加し」かつ「生き延びてその後も蜀で活動した」人物は、なんと劉備と馬忠(*4)しかいない。 文字通りの破滅的大敗であった。 命からがら逃げかえった劉備だったが、この大敗に気落ちしたのかほどなく発病。 死期を悟ると、滞在していた白帝城に子供たちや諸葛亮などの重臣を集めて遺言を残し、そのまま息を引き取った。 時に章武3年(西暦223年)6月10日、享年63歳であった。 【子供達】 『劉禅』 ある意味では親父以上に愛されている三国志のアイドル。3594のアイドルか。 劉備が苦心して作った蜀漢を一代で滅亡させたことから、しばしば「中国史上屈指の暗君」とまで言われてしまう二代目皇帝。 しかし実際のところ、こういう「政治に無関心で、良臣をむやみに圧迫もしないが、悪臣の跳梁を掣肘することもない」という君主は『歴史上に掃いて捨てるほどいる、無気力系ダメ君主のテンプレ』であり、そのタイプとしては特筆する程ひどいというわけでもない。真偽を抜きにしても、もっと酷い奴はいくらでもいるのだから。 今日では単なる「亡国の暗君」を越えて「暗君の代名詞」とまでされてしまったのは、「歴史上の人物」と言うより「有名な歴史講話・三国志の登場人物」になってしまったが故の不幸と言えなくもない。 『劉永』 劉禅の異母弟。 兄と違って硬骨な正論家タイプで、劉禅の治世に政治への干渉を強める宦官黄皓に危機感を募らせ排斥を試みる。 しかし正論家にありがちなことに根回しスキルや説得力に欠けており、逆に黄皓の讒言によって劉禅から宮廷出禁を喰らう羽目になった。 劉備の子供たちの中では珍しく男気を示したためか、甥の劉諶と並んで創作物での扱いはかなり良い方。 劉備の子孫はそのほとんどが西晋~五胡十六国時代の動乱で殺されているのだが、この劉永の家系だけが唯一生き残って祭祀をつないでいる。 『劉理』 劉禅・劉永の異母弟。 馬超の娘を正妃として娶ったということ以外、書くことがないに等しい空気息子。しいて言えば病弱属性があるぐらい。 『娘二人』 名前が不明の娘二人。 長坂の戦いで妻や阿斗ちゃん同様に置き捨てられたが、残念ながらこちらには白馬に乗った趙雲様は現れなかった。そのまま曹操軍の捕虜になり、以後の消息は不明。 残念ながら当時の女性の扱いはこんなものであるが、いつかどこかで拾われるかも? 『劉封』 荊州時代に迎えた養子。元の姓は寇。 後に劉禅が生まれたため後継者の座を外れるが、その優れた軍才から劉備の唯一の親族武将として重用された。 シニア~シルバー揃いな劉備軍主力の平均年齢を一人で下げていた優秀な若手将校だったが、自分の任務を優先して関羽の援軍要請を拒否したことで劉備の寵を失い、諸葛亮の進言で自殺させられた。 劉備にとってはいろんな意味で黒歴史であり、しばしば存在自体をなかったことにされる(北方三国志とか)。 【人物】 「度量が大きく、人を信じて使うのが上手いところは漢高祖(劉邦)にも匹敵する」 「困難な時にあっても信義を曲げず、部下の信頼を裏切らなかったため、多くの優れた人物に慕われた」 などと、乱世に成り上がるのにふさわしい圧倒的カリスマ性を持っていたことが多くの資料から確認できる。 「口数は少なく喜怒哀楽をあまり表に出さなかったが、人に対しては丁重だった」 とも言われており、なんかマフィアのボスのようなすごみもあったのだろう(その割に身近な人にはよく冗談を言っているが)。 劉備の性格と行動基準は「任侠」のそれであり、全体的に一本気のあったり自分を身を挺して守ってくれた者(法正、魏延、麋竺、趙雲等)を厚遇し、逆に口先や理論が先行する者(諸葛亮、龐統、馬謖)を遠ざけていた傾向がある。 諸葛亮ですら、関羽の死の時点で麋竺より席次が下だったことなどはそれを如実に物語っている。 劉備には曹操などと違って自前戦力となりえるめぼしい親族衆がいない。せいぜい養子の劉封くらいである。 戦力となる有力な親族がいないなら、結局は「親族でない実力者」を「自前戦力」として組み込まざるを得ない。 だが単に官位や俸禄でつなぎとめていたのなら、よそに好条件を出されれば簡単に寝返られてしまう。 劉備が重視した義理人情や任侠的な価値観は、親族以外の有力者に自前戦力を求めざるを得ず、また流浪が長く有力者に報いる好条件を示すことも難しかった劉備にとっては、血縁や官位に代わるかすがいであったのかもしれない。 一度は曹操に降参しても劉備への忠誠を貫いた関羽。 代々築いた財産を劉備のために差出し、弟が関羽を裏切った際は自らを縛って処罰まで求めた麋竺。 夷陵の戦いで進退窮まってやむなく魏に降参し、魏で高官に任命されても劉備の死の祝賀をしなかった黄権。 これらのエピソードは、劉備が単に官位や俸禄だけで部下をつなぎとめていた訳ではなく、個人レベルでも凄まじいカリスマを備えていたことを示しているだろう。 一方でそういった「静かなる大物」像とは異なるアグレッシブな劉備も史書ではよく見られる。 人事運用に関しても「使えると見れば若かろうが新参だろうが一気に抜擢もするが、使えないと判断すれば即見切る」というワンマン中小企業の社長みたいなアクティブなスタイルが目立つ。 この辺は、ライバルである曹操のやり方によく似ている。 親と子ぐらいの年齢差がある諸葛亮や、古参の張飛を差し置いていきなり大幹部に抜擢された魏延のように、彼の下でこそ輝けたであろう人材も多い。 ただ「こいつはダメだ!使えん!」と即決した人材の中には馬謖のように本物のハズレもいたが、見切りが早すぎて逸材を逃がしかけた(ホウ統とか蒋エンとか)こともある。お金がないからね、仕方ないね。 また、劉備自身が高く評価した人材も、李厳みたいに劉備が死んだ後に大失敗をやった人物もいたりする。 モロに使えない人材だと記録すら残らないと思われ、劉備がどれくらい人材登用に成功していたか、正確な評価は難しい所だろう。 また若い頃は指揮官として成り上がった劉備ではあるが、戦績を見る限り戦争はそれほど強いとは言えない。 特に大規模な戦闘になるとこれが顕著で、はっきりとした戦いだけを数えても勝率はぎりぎり5~6割と言ったところ。 遥かに多くの戦を経験しながら勝率8割超を維持した曹操とは雲泥の差であり、史書にも「軍略や権謀は曹操に比べてイマイチ」とキッパリ書かれてしまっている。 しかしながらスタート地点がいわば底辺もいいとこの劉備と、親の代から一勢力を築ける財に加えて有力な身内人材にも恵まれた曹操では、財産物資や人的資源に差がありすぎて単純比較は出来ない。 更にそんな状況なので劉備は徐州や長坂のような、開戦前からほぼ負け戦確定&戦争回避もほぼ不可避の状況も多かったことも留意する必要がある。 むしろこれほど負けておきながら最終的にあれほどの勢力を築いたというところが劉備のすごさともいえる。 その成功の秘密はなんといっても「逃げ足の早さ」と「筋を通す義理堅さと言う名の名声」にある。 「逃げ足の速さ」と書くとなんかネガティブな感じではあるが、「勝てそうならば戦い、負けそうなら逃げる」というのは古今東西、勝利への大鉄則である。 これには「あくまでも負けそうな戦いだから逃げる」という分析・判断力も含まれている。 「逃げ腰で勝ち戦を逃す」といったことはほぼやってはならないし、「逃げるだけの、皆を納得させられる理由」も必要になってくる。臆病からの行動と思われてしまえば人はついてこないのだ。 しかし逃げてしまうと地盤や人材を失う場合が多いことも確かなので、そこからの立て直しも求められる。 そのため単純に逃げ足が速いだけでなく、逃げた後でもついてきてくれる忠臣や、人材を集められる名声があった、というのも重要である。 こうして考えると、単純に頼る勢力を変えたり逃げているように見えて、劉備はその当たりのバランス感覚に非常に優れていた(そして、運もあった)ことが良く分かる。 この名声と逃げの両輪により、明日をも知れない弱小勢力ながらも比較的ローリスクハイリターンな行動を繰り返すことができ、最終的に三大勢力の一つにまで成りあがったと言っても過言ではない。 これらは、劉備が明確且つ周囲に誇れる長所である。 ただし、大勢力になると様々な影響がありすぎるため、流石にホイホイ逃げるわけにはいかなくなる。 劉備最後の最後でやらかした大失点である夷陵の戦いは、なまじ劉備が大勢力になったゆえに「逃げて立て直せず、挽回が効かなくなってしまった」例でもあった。 また、劉備自身の義理人情によって戦争を回避できない状況で実質詰んでしまっていたのだ。 更に、夷陵の戦いの時点で三国は鼎立し、戦乱状態が一区切りついて人が流動しなくなっており、名声で人を集めることが困難になった。 皮肉にも劉備自身が作り出した三国鼎立が最後の最後で劉備の得意戦法を封じ、次世代に巨大なツケを残してしまったのである。 本当の意味での乱世の奸雄は、乱世だからこそ何度も群雄として舞い戻ることができた劉備なのかもしれない。 【外見】 「耳が自分の眼で見れるほど大きく、手は膝に届くほどの長さがあった。」 と史書に書かれており、どうやら人間よりテナガザルに近かった可能性がある。 しかし身長は7尺5寸(181センチ)もあり、当時としてはかなり大きめである。とするとむしろゴリラに近かったのかもしれない。 ……まあこういったクリーチャーじみた造形は天子を表す相として後付けされたり過大に表現されたりするものなので、信ぴょう性があるのかと言われると微妙ではある。 また史書に「ヒゲがなかった(薄かった)」と書かれていることも有名。 文からは常にそうだった(元々生えていなかったor薄かった)のか、一時的にそうだった(剃っていた)のかは定かではないが、後者だとすれば相当なオシャレさんである。 当時ヒゲは成人男性のファッションの基本であり、そのスタンダードをあえて外してコーディネートを成立させるには相当なセンスが要求されたことだろう。 実際、史書には「音楽を愛し、美しい衣服を好んで身に着けた」とあるので、案外本当にレベルの高いオシャレ系だったのかもしれない。 ただ、張裕という卜占の大家がまだ劉璋配下だった頃、劉備のひげの薄さをからかったところ、劉備は数年にわたって恨み続け、最終的に処刑した(*5)。 とするとファッションへの関心はともかくとして、ヒゲの薄さはコンプレックスではあったようだ。 【創作作品における昭烈帝】 一般的に「三国故事(三国志関連の創作)」における劉備は、中国文芸においては「西遊記」の三蔵法師や「水滸伝」の宋江と同じ分類にあてはめられる。 彼らは一応ストーリー展開において主役的存在ではあるのだが、それはむしろ受け手の感情を移入させる「ヒーロー」と言うよりは、そのヒーロー達を活躍させるための「舞台」に近い存在なのである。 これは現代の創作でもみられる「本来は主導的な主人公であったものが、周りの濃いキャラクターに要素をはく奪され、徐々に没個性的な存在になっていく」というある種普遍的な現象である。 大衆にとって三国故事とは「ヒーローの張飛、その兄貴分で神様の関羽、魔術師孔明、それに対するは悪の大魔王曹操とその部下司馬懿&鄧艾!」といったイメージが基本だった。 劉備は彼らを従える主君として好意的に描かれる人物ではあったものの、その主体性や存在感は限りなく希薄だったのである。 例えて言うなら子供たちに「劉備のこと好き?」と聞けば、100人中99人は「劉備好き!曹操嫌い!」というに違いないのだが、「三国志で誰が一番好き?」と聞いたら、「劉備!」という子供は100人中1人しかいませんでした、という感じ。 ・三国故事黎明期 当初の三国モノのヒーローはなんといっても張飛一色で、張飛が曹操を一声で泣きながら逃亡させたり、一万の兵士を一人でぶった切ったり、妖怪変化(!?)と戦ったりと大暴れするのが常だった。 この頃の劉備は「張飛(または関羽)の主君」という以上の役割はほとんどなく、よくてお話の〆に出てきて張飛の蛮行剛勇をたたえてオチをつける、という程度の存在であった。 ・説三分 やや風向きが変わってくるのは、科挙に挫折した知識階級の文筆家があふれ出し、大衆向け創作のレベルが大きく向上した宋~元の時代。 それまでは「張飛が出て殺す」的なマッポー的アトモスフィアに満ち溢れていた三国故事も、それなりにちゃんと構成された歴史ストーリーとしての体裁を整えていくようになってきた。 この為ヒーローサイドの中心人物である劉備も、単なる舞台装置にとどまらず、義兄弟や孔明など人気のあるヒーローたちが「仕えるに足る」人物として設定されていくようになったのである。 ただしこれは歴史上の劉備を反映させたというよりは、「ヒーローサイドのボス」、そして「大悪党曹操に相対する存在」という物語上の必要性から逆算して作られたキャラクター性であった。 結果としてこの時代の劉備は「仁愛の心にあふれ、人を疑うことも知らないお人好しで、しかし道義心が極めて強く、曹操の不義を憎む正義漢」という昭和特撮的正義漢といったキャラ付けをされている。 宋代に編纂された「三国志平話」では、項羽との戦いで功績を上げながらも劉邦に粛清された「梁王」彭越の生まれ変わりとされた。 ・三国志演義 そして明代。それまでに蓄積されてきた三国故事を正史の流れに沿って編集、再構成した「三国志演義」が生まれるのだが、ここで問題が発生する。 前述の通り、乱世の雄である正史の劉備は、お話の中にしか存在しないような「聖人君子」では決してない。 役人にSMプレイして辞表をたたきつけたり、妻子を放り出して自分だけ逃げたり、火事場泥棒的に荊州を奪ったり、ヤクザ並の難癖をつけて蜀を奪い取ったり、皇帝が禅譲したのに死亡したと主張して自分が即位したり、挙句の果てには関羽の仇討ちという、なんともくだらない理由で(しかも趙雲らの意見を無視してまで)戦を起こしたといった非ヒーロー的所業も当然やらかしている。 よって演義に関わった作家たちは、「乱世の群雄」としての劉備と、創作で作り上げられてきた「仁君」劉備のイメージとの双方を両立させねばならないというジレンマに悩むことになった。 結果、聖人君子らしくないふるまいに関しては「やむを得ない事情があって苦悩しながらやった」ことにしたり「部下(主に張飛)が勝手にやった」ことにしたり、「相手の方が悪意を抱いていたので正当防衛だった」ということにしたりして、なんとか劉備のキャラクター性を守ろうとしたのだが、正直なところ成功しているかというと微妙なところ。 例えば初対面の敵将を捕虜にした時にしても、あるシーンでは丁重に説得を試みたり、あるシーンでは一瞬のためらいもなく斬首を命じたりと、キャラがブレッブレになってしまっている。 結果として演義の劉備は「基本的に聖人君子なんだけど、部下の言うことにあっさり流されるので主体性がなく、部下の言うままに非道もやるので一貫性もなく、もうただの偽善者なんじゃないのこれというレベルなのだが、しかし作中ではなぜか至誠の仁君扱いされる」という非常に安定しない人物となってしまった。 ・その後 三国故事における劉備のキャラクター性はその後も基本的に変わることなく、「英雄たちが忠誠を捧げる象徴的な聖人君子」というイメージから逸脱することはなかった。 この画一的なイメージに変化が見え始めたのはごく近代のことで、「三国故事」自体がエンターテイメントジャンルの地位を降り、歴史書の「三国志」と同じく古典の一分野という立ち位置になってからのことである。 特に様々なジャンルでの三国志創作が盛んな日本では、それ以前のテンプレに縛られない多様な劉備が産まれている。 昨今では特に批判の対象になりがちな「偽善者」という演義の描写や、「漢室の復興」を唱え続けた正史の態度を掘り下げて、 本性は怜悧で狡猾な権謀家だが、普段は「仁徳の仮面」を被り文字通り善人と偽っている、芝居に巧みな権力者として描かれることもある。 漫画にもなった「封神演義」の改編翻訳元で知られる安能務は、劉備を「とぼけた「仁徳」の政治スローガンを掲げて、臆面もなく漢室の末裔と言い張りながら、そのじつ漢室のためには脛毛一本たりともすり減らしたことのない、しぶとい権謀家」と評した。 『演劇系』 前述の通り、三国故事における劉備は今でいう「主人公の親友」系ポジションなので、登場自体は多くとも主役級の位置を与えられることはほとんどない。 「桃園結義」においてすら、立ち回りでも口上でも主役は圧倒的に張飛と関羽であり、劉備は正直オマケに近い。三国志の後半になってくるともうホントに空気である。 そんな中で唯一劉備が輝ける題材は、演劇の本筋とも言える恋愛もの……つまり「孫夫人とのロミジュリ」である。 この分野における劉備の活躍は恋愛劇が盛んになった清代劇、つまり京劇において一際顕著であり、恋バナに関してだけは義兄弟たちの追随を許さない位置を築いている。 まあ他2人は筋肉モリモリのヒゲおじんだから消去法で仕方ないね。 『三国志 Three Kingdoms』 現代中国の歴史大河ドラマでは、ようやく画一的な聖人君子像から脱却した劉備を見ることが出来る。 演義を元にした作品なので、基本的には仁徳の人なのだが、そんな自分をどこかで冷静に客観視しているようなクールさと、それでもなお仁義を貫こうとする凄みを垣間見せる。 演義における絶望的な主体性のなさと無自覚な偽善者臭さを、逆に「意識してそうふるまっている覚悟の人」という形に昇華させており、諸葛亮さえ時にハッとさせる君主らしさがかっこいい。 歴戦の勇将であるという正史要素を意識してか、個人の剣技も作中有数の腕前という設定であり、数は少ないがかっこいいアクションシーンも見られる。 『横山三国志』 ビジュアルは横山漫画のイケメン系主役顔(バビル二世系)。 基本的には三国志演義の劉備そのものだが、前述の通り演義劉備はキャラが安定してないので、絵になると余計シュールさが漂う。 「斬れっ」 物語の序盤ではとてつもなく主人公しているのだが、周りに人物が増えていくにしたがって急速にモブ化していくのが悲しい。 アニメ版の声優は中村大樹。基本的には横山劉備をさらにマイルドに、聖人君子に仕立て上げたキャラ造詣となっている。 子供向けアニメということでヒーローとしても描かれており、むしろを織っている描写はあるものの、商人ではなく習字の先生という設定。 戦闘力は張飛がすれ違っただけで実力を見抜くほどに高く、一人で香蘭(字を教えている幼女)の村を襲った黄巾賊を剣一本で無双する活躍を見せた。 後に香蘭と結婚するが、香蘭は史実の甘夫人、糜夫人と同様の運命をたどることになる。 ちなみに漫画版の芙蓉姫は不要とみなされオミットされた。 / ̄ ̄ ̄ヽヽヽ | fァj____|___ ∧∧∧∧∧∧∧ /// | < / // / ̄`ヽ、 /\ ', < ,' // く ,.=ヽ、_,  ̄ _,.、〉 | < だまらっしゃい | || / / _≧ノ r≦_ | | < /`ヽ|/ イ fj | / fj || < | ヽ|! ゝ=- |`ー= !〕 ∨∨∨∨∨∨∨ | 〈!| u ', ;' ヽ_,. _, _ ´、 ,' / | ┃r'" 7┃ / ,/ ヽ ┃| _ ,' ┃,'/\ ミ \  ̄ - `' / 小ヾヽ \ /|//| ヾヽ ヾi川川ツ’/// ヾヽ `ヾリ\ 『蒼天航路』 完璧超人すぎる曹操が有名な漫画だが、キャラとして革新的なのはむしろ劉備の方かもしれない。まさかの江戸っ子系チンピラキャラである(*6)。 三国故事の流れが形成してきた理想的聖人君子としての劉備ではなく、史実の「泥臭く、人間臭い群雄」としての劉備を大胆に脚色し、ヤクザの親分のような任侠と、ある種少年のようなとてつもない包容力を持つ人物として描かれている。 外見も史実に寄せて、耳(耳たぶ)が大きく腕が長い見た目をしている。 『コーエー三国志』 基本的に演義のキャラクター性を踏襲しているためか、魅力以外は実に平凡な器用貧乏(byホウ統)。 イベントシーンでもそのキャラクター性は基本的に演義準拠の薄口で、キャラが明確なライバル曹操に比べるとあまり目立たない。 だが、隠しパラメータである「相性値」がちょうど中庸になっていることが多く、魏・呉どちらの武将もそれなりに配下にしやすい。何かと得をするイベントも多め(同じイベントでも、劉備だと発生条件が緩かったりする)であり、やはり主役クラスとして優遇されている。 ただし7あたりから明らかに蒼天航路の影響で一部で非常にはっちゃけはじめており、通常のストーリー外ではチンピラじみた軽い性格が出てくるようになった。 特に9や11でのチュートリアルにおける劉備は、もはや伝説レベルの公式が病気である。危険なことを言うな! 三國志14では移動速度最高の錐行陣形と、部隊が壊滅しても捕縛・戦死が発生しない強運の個性を持っているという 本作の重要システムである兵站切りをやれと言わんばかりの能力で、「兵站切りおじさん」として親しまれている。 強運があるのをいいことに、最低兵力で特攻させられる等の凄まじく雑な扱いを受けることにもなってしまったが。 諸葛亮との出会いから始まるCDドラマ版では主役であり、CVは古谷徹。 「満漢全席」「DX」ではマイペースで爺臭いキャラとなっている。 『三國無双』 CVは遠藤守哉。 蜀陣営の人物は基本的に三国志演義のイメージをそのまま踏襲しており、劉備も演義そのものの「大徳」で、キーワードの「仁」という言葉をしょっちゅう口にする。 しかし現代において、演義の劉備そのままで魅力的なキャラに仕上げることはなかなか難しいのも事実。 魏や呉も蜀と同じようにヒーローサイドとして描かれることもあって、プレイヤーからは「仁の刃ってなんだよ…」「なんで三国同じようなことやってても劉備だけ正義扱いなの?」などとツッコミが入ることも多々あった。 しかし正史の要素を大きく取り入れた6あたりから、理想としての「仁」と、現実の乱世における自分の所業との乖離に苦しむような描写も増えてきており、演義とは一味違う深みも出てきた感がある。 またどの作品においても夷陵の戦いまわりは遠藤氏の演技もあり必見の迫力である。 PS2シリーズでは武器は剣(尖剣)を使っていたが、PS3になった5以降では、演義オマージュとしてか「雌雄一対の剣」つまり二刀流がメイン武器になった。性能は君主勢の中では高めな傾向がある。 余談だが、5ではヒゲがオミットされ単なるイケメンとなったことと、衣装の何とも言えない地味さから「拠点兵長」というあだ名が付けられた。その後6、7とヒゲ無しが続き、8ではゲームの進行度合いにより中盤からヒゲを生やした姿になるという形で復活した。 『無双OROCHI』 無印で「劉備姫」的なキャラになったことで≪プレイヤーの腹筋が苦戦!即刻救援せよ!≫させたが、元ネタである演義の劉備を考えれば極めて伝統的な立ち位置であると言えなくもない。 この反省なのか、次回作「魔王再臨」では、 蜀章の主人公 今作で導入された合体技で唯一2つに対応している(*7)。 といったフォローがなされている。 『白井式三国志』 主人公劉備くん。 底抜けにアホでドジで身勝手、なおかつ能天気でお調子者という君主にあるまじき人物。 しかし草鞋作りが異常に上手く、履いた将兵に猛烈なバフがかかるという謎の特技を有する。 どんな困難にあっても己の遺志を曲げず、檀溪を飛ぼうとした際には棒高跳びや投げ縄を使い、終いには檀溪を埋めようとして曹操兵からも同情された始末。 推しは綾波レイ。 『新SD戦国伝 地上最強編』 劉備モチーフキャラとして、影武乱夢(エイブラム)編の主人公・白龍頑駄無(ハクリュウガンダム)が登場。 演者はガンダム試作1号機フルバーニアン。 かつて影武乱夢を統治していた龍帝の子孫で、先祖代々伝わる和魂(にぎたま)を所持していた。 影舞乱夢征服を目論み世を乱す黄虎璽(オウコジオング)率いる黄虎賊(黄巾賊モチーフ)との戦いの中、青龍頑駄無と赤龍頑駄無率いる義勇軍に加わる。 先祖伝来の双龍刀二振りから繰り出す「怒龍十字斬」が必殺技。 続編の『伝説の大将軍編』にも登場。頑駄無白竜大帝と名を変え、影舞乱夢を統治していた。 また明言はされていないものの、世界観の繋がっている下記の『三国伝』版劉備は彼の子孫とされる。 『BB戦士三国伝』 物語の主人公、「龍帝を継ぐ者」劉備ガンダムとして登場。 プラモ版の仕様から「ホンタイさん」とも呼ばれる。 ストレートに少年漫画系主人公らしい正義感溢れる侠で、二刀流の使い手。 そのため演義劉備の君主っぽいところは余り描かれず、むしろ先陣切って敵のボスと切った張ったした挙句行方不明になって一時期主人公が交代したりする。 詳しくは項目も参照。 『SDガンダムワールド 三国創傑伝』 CV 梶原岳人 演者はユニコーンガンダム。 自警団『ドラゴンズ・ウォッチ』のボスで、正義感と義侠心に富む若者。 基本的には劉備ガンダムとあんまり変わらないが、三国伝とは違い曹操を尊敬しており、孫堅を父親のように慕うなど、若さが強調されている。 なお余談であるがユニコーンガンダムのパイロットバナージ・リンクス役の内山昂輝氏は『創傑伝』では諸葛亮フリーダムガンダムを演じている。 『一騎当千』 CV 真堂圭 成都学園当主、2年。おっぱい。 引っ込み思案な眼鏡っ子でドジな愛されキャラ。 体内に「雷」の竜を宿している。 『真・恋姫†無双』 CV 安玖深音(PC版)、後藤麻衣(コンシューマ版、アニメ) 第1作は蜀陣営を主役サイドとするが美少女の劉備はおらず、現代からやってきた主人公・北郷一刀が劉備ポジションに収まるという構造だったのだが、 こちらでは一刀は魏呉蜀からつく陣営を選べる形になり、それに伴って劉備(美少女)がキャラクターとして追加された。 真名は「桃香」で天然愛されキャラ。またかよ。とても純粋でお人好しであり、身分に関係なく仲間を想う優しさを有する。 アニメ版では実質2代目主人公(1期主人公の関羽とW主人公)的な立ち位置。 『十三支演義』 CV 石田彰 メインキャラの一人。 人間に差別される猫族の長なのだが、外見も中身も15歳とは思えないほど幼い。 乙女ゲーでは珍しくメインヒーローなのにショタキャラという不思議な子。何?実質曹操様がメインじゃないかって?知るか! しかしその正体は…。 『ウルトラマン英雄伝』 令和初の主人公・ウルトラマンタイガがその役を担っている。 三人組のまとめ役、高貴な一族の末裔という点でもぴったりの配役であろう。 また『タイガ』作中では1本しか登場しないトライブレードも配役に合わせて二刀流になっている。 『ニンジャスレイヤー』 「ハイヤーッ!」カンフー・シャウトを響かせながら、青龍刀の男はチャリオットの側面を蹴って前方回転で飛び出し、戦場へと躍り出た! タダーン!彼の名はシャン・リウ・ベイ!あの男を抹殺すべく、ローマ法王と同盟を組んだドラゴン・エンペラーの軍勢が放った、屈強なカンフー・マスターである! 劉備曲解してんじゃねぇ! 多分元ネタはジャッキー・チェン主演の映画『ドラゴン・ブレイド』だと思われるが、時代が前漢後期なので200年位違う。 ※あくまでも劇中劇の設定であり、本当に「劉備とあの男が戦った」事になっている訳ではない。どっちにしろ「何か吸ったのかな?」と疑われざるを得ないトンチキな発想ではあるが。 『快楽ヒストリエ』 『三国志』に曰く「劉備は自分の耳を自分で見ることができ、手は下に垂らせば膝まで届いた」 「あまり読書を好まず動物や音楽、きれいな衣服を喜んだ」 劉備の正体が女子校生であったことは明らかである 。女子高生ではない。 エロ漫画雑誌・快楽天BEASTで連載されていた歴史ギャグ漫画。なお、エロ漫画雑誌に掲載されているにもかかわらず濡れ場は一切ない。 演義の記述を元にウサ耳・ダボ袖な女子校生になってしまっている。 なお関羽・張飛はそのまんま(ただし関羽はアホキャラとなっており、張飛が一番まとも、ついでに張角もなんの説明もなく女体化している)。ついでに女子校生なのに彼らからは兄者と呼ばれている。 『SD三国志』 今は亡きコミックボンボンで連載されていたおうたごさくの漫画。 ガキ大将の張飛とのケンカが耐えない、少年マンガの主人公らしい熱血少年。 村が黄巾賊に襲われた際、村はずれに住む老人・司馬徽より父の形見というバトルスーツを授けられ、賊を撃退する。 なおこのバトルスーツは持ち主を選んだり着用者の気によって変形するなどこの世界観でも特に強力なものとされ、 その持ち主であった父については、手下からスーツの特徴を聞いた張角三兄弟は「ヤツは死んだはず」と驚いているが、 劉備と会った上でその父親も強い戦士だったと司馬徽から聞いた曹操は心当たりがなさそうにしており、具体的にどんな人物だったのかは打ち切りの為不明。 『孔明のヨメ。』 芳文社「まんがホーム」の4コマ漫画。 題名通り主役は孔明なので既に名を上げた荊州時代からの登場となり、基本はパブリックイメージに忠実な超福耳で人徳の君主だが、 側近だけになると江戸っ子口調になったり、草鞋売りに扮して市場を視察したりと庶民的な前半生も強調されている。 『三国志(1992年)』 1992年公開のアニメーション映画。 「英雄達の夜明け」「長江、燃ゆ!」「遥かなる大地」の全3部作。 古い作品なのでキャラクター像は概ね史実や演義に則した物。 CVを担当しているのは「水戸黄門」の助さんを演じていた俳優のあおい輝彦氏。 関羽、張飛と共に全編を通しての主人公として宿敵・曹操としのぎを削る。 「悪は小であってもするな、善は小であってもなせ。ただ追記と修正とが能く記事を完成させるのだ。建て主は徳薄く、これを模範としてはならない。」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 記事作成お疲れ様でした、面白かったです -- 名無しさん (2017-04-01 18 06 12) いつも乙です。「献帝」「董卓」「八王の乱」あたりも希望です!! -- 名無しさん (2017-04-01 18 09 46) 無双にBB戦士にニンジャスレイヤーまで書くなら恋姫も…いえなんでもないです -- 名無しさん (2017-04-01 19 20 30) 戦績を見る限り戦争はそれほど強いとは言えないって書いてあるけど負けのほとんどが格上で夷陵以外損害がひどくないし夷陵自体呉も -- 名無しさん (2017-04-01 21 21 32) ギリギリだったらしいし優秀な指揮官なんだけどあんまり知られてないのが悲しい -- 名無しさん (2017-04-01 21 23 37) 演義で二刀流だったり泣き落とししたりしたせいか、女体化劇も珍しくなかったりする。有名なのは関羽との恋愛劇 -- 名無しさん (2017-04-01 21 25 44) 「逃げるは恥だが役に立つ」を地で行くような人 -- 名無しさん (2017-04-01 21 29 54) パズドラでは昔から優遇されてる 今はパズルしないリーダーとして大活躍中 -- 名無しさん (2017-04-01 22 56 40) 呂布とか曹操とか陸遜とか「一流でも上の方だけど超一流が出てくると勝てない」タイプの指揮官というか。「戦闘」には勝てるんだけど、それは局地的・戦術的勝利までで、「戦争」規模だと地盤の貧弱さがもろに出てくるというか。三国時代最高の「ゲリラ指揮官」的な? -- 名無しさん (2017-04-01 23 48 31) 「恋姫劉備やパズドラ劉備を追記できる者はおるか!」「恋姫劉備やパズドラ劉備を追記できる者はおるか!」「恋姫劉備やパズドラ劉備を追記できる者はおるか!」 -- 名無しさん (2017-04-02 00 34 15) ↑ 「いいだしっぺがやってみよ!」 -- 名無しさん (2017-04-02 05 10 06) 余と君だ! -- 名無しさん (2017-04-02 16 37 58) 袁術攻めてるときに呂布に本拠地を落とされてるのに兵が完全に離散せずに袁術の領地を一部奪ってるのはかなり凄い -- 名無しさん (2017-04-02 21 27 20) 「あるシーン」でケイ道栄の事かと思ったらyappariかw -- 名無しさん (2017-04-02 23 12 20) 盧植のところでは遊んでたけど鄭玄や陳紀(陳グンの父)の話は聞いてるんだよな。なので諸葛亮に政治の話をぼやいてそれが蜀の政治になったこともある。あと腰が定まらなかったせいで陳グンとか陳登とか逸材を逃したこともある -- 名無しさん (2017-04-05 04 47 23) 何だか印象では「関羽に祭り上げられちゃった人」な印象を持ってる。何かの創作物の影響かも知れんけど。 -- 名無しさん (2017-04-10 18 56 41) 没落貴族で、忠義を尽くすも主家は悉く滅んで主君を変えまくり、しかし色んな軍勢から欲しがられ、最終的に一国の主になる。まれに私事で他人を斬ったこともあったり、叩き上げの武人だが内政に優れていたりと、藤堂高虎とはやたら共通点が多い気がする。 -- 名無しさん (2017-07-01 13 41 00) 引導を渡されたのが因縁の曹操じゃなくて、よりにもよって陸遜だったのが辛い、世代交代の悲しさよ -- 名無しさん (2017-08-08 23 21 52) 長期連載作品にたまにいるね>もうただの偽善者なんじゃないのこれというレベルなのだが、しかし作中ではなぜか至誠の仁君扱いされる -- 名無しさん (2017-11-09 12 55 15) 「蜀志に伝が立てられて」「夷陵の戦いに参加した」のって、劉備・馬良(戦死)・黄権(魏に投降)の三人だけじゃないか? 開戦前に死んだ張飛と、後方にいた趙雲を加えても、そんなに70人中二人だけなんて言う文脈には…… -- 名無しさん (2018-05-01 23 00 24) 劉備の侠客説ってこれと言って証拠はないよね?まぁ塩の密売をしていた関羽と親しい間柄って時点でカタギじゃないのは間違いなさそうだが -- 名無しさん (2018-05-18 14 31 56) ↑3 -- 名無しさん (2018-05-18 19 08 48) ミス↑三国無双なんかモロにそれでもはや曹操に戦い挑む理由が難癖レベルになってる -- 名無しさん (2018-05-18 19 10 46) ↑まあ、今の考察がしっかりとできる時代だから言える事で当時としてはまっとうna(に見える) -- 名無しさん (2018-05-28 13 11 55) ↑ミス まあ、今の考察がしっかりとできる時代だから言える事で当時としてはまっとう(に見える)な理由だたんだろう。 何せインターネットはおろかTVもラジオもなく正統性なんかの観点もあやふやだったんだし… -- 名無しさん (2018-05-28 13 13 19) 呉の関羽攻めは、まず魯粛が健在なときに3郡とり、単刀赴会で1郡返し、魯粛死後に呂蒙が後釜となって、その後陸遜に交代したと見せかけて関羽を攻める、なので蜀は間をおいて二回負けてるんだよな -- 名無しさん (2018-07-26 11 33 07) 桃園三兄弟がみんな私情による自業自得の死を迎えているのなんとも皮肉な事 -- 名無しさん (2019-12-27 10 58 09) ↑8 それは「夷陵で死ななければ、最終的に伝が立てられるぐらいになったであろう当時の高級将校=将来の指導者予備軍(馮習、張南、傅彤etc)」が大量に夷陵で死んだって意味でござるよ。「夷陵の戦いに参加した」高級将校が死にまくったってことね。 -- 名無しさん (2020-01-22 21 31 22) 史実の劉備はなんだかんだで劉邦に似ている 平民出身だが実家は裕福で異能レベルの鑑定眼がありゴキブリ並みにしぶとくてなんだかんだで戦上手なチンピラみたいなおっさん(劉邦)と、皇族なんだか貧民なんだかよくわからないが意外とエリート(盧植の塾)なゴキブリ並みにしぶといなんだかんだで戦上手のチンピラみたいなおっさん(劉備) -- 名無しさん (2020-12-28 11 42 36) あとどうでもいいが子捨てのエピソードも共通している それ抜きにしても劉禅も劉備もなんか子供に薄情なんだよな 劉備は儒の影響でいいとしても劉邦は超が付くレベルの儒者嫌いだし -- 名無しさん (2020-12-28 11 45 47) 子は親(一族)の所有物、という考えは古今東西一緒ということでは -- 名無しさん (2020-12-28 12 04 07) 共通してたら夏侯嬰や趙雲は子供をそのまま見捨ててそうな気もする -- 名無しさん (2020-12-28 12 51 17) なんか恐ろしい誤解があるようだが、儒教では「子供が自身を顧みず親を助けるのは美談」なのであって、「親が子供を顧みないのが美談」ではないかんね?親にとって子供は祖先からの祭祀を受け継ぐ者で大事にすべきとされてるからね?同時代でも自分の子供を見捨てて知人の子供を救った人が「ちょっとそれはどうなん・・・?」って書かれてるよ! -- 名無しさん (2021-01-20 09 20 17) 関羽の死の時点で諸葛亮の席次の話を出してるけど、席次が低いだけで諸葛亮は劉備の代行者という立場で蜀を統治してるから権力の点ではNo.2だぞ -- 名無しさん (2021-06-30 01 02 32) 歌舞伎では何故か男装の麗人扱い… -- 名無しさん (2022-02-21 20 34 03) 孔明といい漢王朝再興する気があったか疑問 -- 名無しさん (2022-05-22 16 59 06) ↑あの地で蜀漢王朝として永続することが最優先だったのは間違いないと思う。天下三分の計をまず三分の一ってことで最終目標と捉えるのは誤解と言われるけど、これだけは最低目標や絶対確保という意味では外れたものではないかと -- 名無しさん (2022-06-06 23 52 52) 完コピ王朝とかしたくなかったろうしな -- 名無しさん (2022-07-10 01 45 05) よく出来ている記事だとは思うけど荊州分割については魯粛健在時に一旦蹴りを付けている事や、対曹操本人以外での劉備の勝率に触れられてない所は少々残念か -- 名無しさん (2022-08-21 22 38 40) 赤壁も武帝紀程昱伝諸葛氏集は劉備が主力だし、汝南太守として満寵が赴任していた時期でも許の手前までぶち抜いてたりこの時代でも最強クラスの指揮官である -- 名無しさん (2023-09-07 01 36 43) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/orifusai/pages/79.html
劉備 姓 劉 名 備 字 玄徳 誕生年 161年 死亡年 223年4月24日(63歳) 出身地 幽州[シ豕]郡[シ豕]県 年表 年 所在 立場・事跡 出典 備考 175 幽州[シ豕]郡[シ豕]県 公孫(王賛)?と共に盧植?に師事。 蜀書・先主伝 184 鄒靖?に従って黄巾討伐に従軍。 蜀書・先主伝 ? 冀州中山国安熹県 黄巾討伐の功績で安熹県令となるも、督郵を杖で打ち据えて逃亡。 蜀書・先主伝 ? 徐州下邳郡 何進?の命を受けた毋丘毅?に従い丹陽で募兵に向かう途中、下邳で賊退治。 蜀書・先主伝 ? 青州北海国下密県 上記功績で下密の丞となるが棄官。 蜀書・先主伝 ? 青州平原国高唐県 高唐の尉に就任。 蜀書・先主伝 ? 青州平原国高唐県 高唐の県令に昇進。 蜀書・先主伝 ? 幽州右北平郡 賊に敗れて公孫(王賛)を頼る。 蜀書・先主伝 ? 青州平原国平原県 田楷?と共に袁紹と戦い、平原の国相となる。 蜀書・先主伝 193 徐州 曹操に攻められた陶謙?を助けに徐州に赴く。 蜀書・先主伝 193 予州沛国沛県 陶謙の上表で予州刺史となり、小沛に駐屯。 蜀書・先主伝 194 徐州下邳郡下邳県 陶謙の死後、徐州牧の地位を譲られる。 蜀書・先主伝 196 徐州広陵郡淮陰県 淮陰に侵入した袁術?を撃退。 蜀書・先主伝 196 徐州広陵郡淮陰県 曹操の上表で鎮東将軍・宜城亭侯となる。 蜀書・先主伝 196 徐州広陵郡海西県 呂布に下邳を奪われて海西に移動。 蜀書・先主伝 徐州? 楊奉、韓暹を撃破。 蜀書・先主伝 予州沛国沛県 呂布に降伏して小沛に駐屯。 蜀書・先主伝 予州潁川郡許県 呂布に攻撃されて曹操を頼る。予州牧となる。 蜀書・先主伝 198? 予州沛国沛県 夏侯惇と共に高順と戦うが敗北。 蜀書・先主伝 198 徐州下邳郡下邳県 12月、曹操と共に下邳を包囲、呂布を斬る。 蜀書・先主伝 予州潁川郡許県 左将軍となる。 蜀書・先主伝 徐州 徐州を通過して青州に向かう袁術を撃つために出撃、しかし袁術は病死。 蜀書・先主伝 徐州下邳郡下邳県 徐州刺史の車胄?を殺害して曹操に叛旗。下邳に関羽?を置いて小沛に駐屯。 蜀書・先主伝 予州沛国沛県 曹操が派遣した劉岱?・王忠?を撃退。孫乾?を派遣して袁紹と組む。 蜀書・先主伝 200 予州沛国沛県 1月、曹操が討伐に来たので青州に逃亡、袁紹を頼る。 蜀書・先主伝 200 エン州東郡延津県 4月、文醜と共に出撃するが、曹操に敗北。 魏書・袁紹伝 200 予州汝南郡 劉辟と組んで汝南で曹操に反抗するが、曹仁に敗北し[業β]に戻る。 魏書・袁紹伝 200 予州汝南郡 劉表?と出陣を促す名目で(龍共)都と組んで汝南を荒らす。蔡陽?を撃破。 魏書・袁紹伝 201 荊州南陽郡新野県 曹操の攻撃を受けて劉表を頼る。新野の守りにつく。 魏書・袁紹伝 203 荊州南陽郡博望県 8月、博望で夏侯惇?・李典を破る。 蜀書・先主伝 魏書・李典伝によれば黎陽で袁尚?と戦った(203年3月)後で李典は夏侯惇と共に劉備と戦い不利だったとあり、その後[業β]を包囲(204年2月)している。従って203年8月に曹操が劉表と戦った武帝紀の記述がこの戦いだと思われる。 207 荊州南郡襄陽県? 烏丸討伐中の曹操の隙を突いて許を攻めよと劉表に進言するも容れられず。 蜀書・先主伝 208 荊州南郡襄陽県樊城 8月、劉表が死に、劉琮?が跡を継ぐ。劉備は樊城に駐屯。曹操が宛に到着と聞いて撤退。襄陽で劉琮に会えず。 蜀書・先主伝 年月は武帝記による 208 荊州南郡襄陽県樊城 9月、曹操が宛に到着と聞いて撤退。襄陽で劉琮に会えず。 蜀書・先主伝 年月は武帝記による 208 荊州南郡当陽県 当陽に着いた頃には劉備一行は十余万の人々が従っていたという。 蜀書・先主伝 208 荊州南郡当陽県長坂 長坂で曹操軍に追いつかれ、妻子を棄てて逃亡。 蜀書・先主伝 208 荊州江夏郡夏口 逃げ回り漢津で関羽と合流。夏口で劉琦と合流。孫権に諸葛亮を送って同盟を組む。 蜀書・先主伝 208 荊州江夏郡赤壁 12月、孫権軍と共同で赤壁で曹操軍を破る。南郡まで進撃する。 蜀書・先主伝 年月は武帝記による 荊州南郡公安 劉琦を荊州刺史に上表。 蜀書・先主伝 荊州 武陵太守の金旋?、長沙太守の韓玄?、桂陽太守の趙範?、零陵太守の劉度?を降す。廬江の賊の雷緒?が帰順する。 蜀書・先主伝 209 荊州南郡公安 劉琦が死ぬと部下に推されて荊州牧に。公安を州都とする。 蜀書・先主伝 年月は孫権伝による 揚州呉郡呉県? 孫権の妹をを夫人として同盟し、孫権と京城で面会。 蜀書・先主伝 京城とは孫権の本拠地のことだろうか?211年にバツ陵に移転し翌年建業と改名した、それ以前は孫権は呉(蘇州)にいたと孫権伝にはある。 211 益州広漢郡葭萌県 劉璋?は張松?の進言に従って法正?を劉備の元に送り、漢中の張魯?討伐を依頼。フ県で劉璋と面会し、劉璋に行大司馬・司隷校尉に推挙される。葭萌に駐屯して人心を収攬。 蜀書・先主伝 212 益州広漢郡葭萌県 曹操に攻撃された孫権の要請に応じて劉璋に増援を要求。劉璋は要求の半分の兵しか送らない。 蜀書・先主伝 武帝記には10月に孫権討伐とある。 益州広漢郡白水県 内応が発覚して張松が処刑される。劉備は楊懐?・高沛?を斬って劉璋に叛旗を翻す。 蜀書・先主伝 益州広漢郡フ県 劉(王貴)?、冷苞?、張任?、鄧賢?をフ県で破る。 蜀書・先主伝 益州広漢郡緜竹県 李厳?を綿竹で降伏させる。 蜀書・先主伝 益州 諸葛亮、張飛?、趙雲?を荊州から呼び寄せ、白帝、江州、江陽を平定する。 蜀書・先主伝 213 益州広漢郡雒県 劉循?が篭城する雒を包囲する。 蜀書・先主伝 214 益州広漢郡雒県 雒を落とす。 蜀書・先主伝 214 益州蜀郡成都県 成都を数十日の包囲し劉璋を降伏させる。 蜀書・先主伝 214 益州蜀郡成都県 益州刺史を兼任する。 蜀書・先主伝 215 荊州南郡公安 呂蒙?が長沙、零陵、桂陽の三郡を奪うと五万の軍を率いて公安に駐屯。 蜀書・先主伝 215 荊州南郡公安 曹操が漢中を攻めると孫権と盟約を結んで荊州を分割。 蜀書・先主伝 215 益州巴郡江州県 黄権?を派遣して張魯を迎えようとするが、張魯は先に曹操に帰順した。 蜀書・先主伝 武帝記によれば、張魯は215年11月に降伏したとある。 215 益州巴郡江州県 11月、張飛を宕渠県に派遣して張(合β)?を破る。成都に帰還する。 蜀書・先主伝 武帝記に張(合β)が巴に攻め込んだのが11月とある。 218 益州漢中郡 軍を率いて漢中に侵攻。陽平関に駐屯。 蜀書・先主伝 218 益州武都郡 呉蘭?、雷銅?を武都に侵入させるが、曹操軍に敗れて全滅する。 蜀書・先主伝 219 益州漢中郡ベン陽県定軍山 春、定軍山で夏侯淵?を討ち取る。 蜀書・先主伝 219 益州漢中郡ベン陽県 曹操の攻撃を受けて立て篭もる。 蜀書・先主伝 219 益州漢中郡ベン陽県 夏、曹操は撤退し、漢中を手に入れる。 蜀書・先主伝 219 益州漢中郡上傭県 劉封?、孟達?、李厳?を派遣して上傭の申耽を攻撃する。 蜀書・先主伝 219 益州漢中郡ベン陽県 秋、群臣に漢中王に推挙され、漢帝に上奏。 蜀書・先主伝 219 益州蜀郡成都県 魏延を漢中の守りに残して成都に帰還。 蜀書・先主伝 220 益州蜀郡成都県 魏が漢から禅譲を受けた際に献帝が殺害されたという誤報を受けて喪に服す。 蜀書・先主伝 221 益州蜀郡成都県武担山 4月、漢(蜀漢)の皇帝に即位。大赦を行い、年号を黄龍と改める。 蜀書・先主伝 221 益州蜀郡成都県 5月、呉夫人?を皇后に、劉禅?を皇太子に任命。 蜀書・先主伝 221 益州蜀郡成都県 6月、劉永?を魯王、劉理?を梁王に任命。 蜀書・先主伝 221 荊州南郡秭帰県 7月、呉の討伐に出陣。秭帰に駐屯。呉班?・馮習?が李異?を破る。 蜀書・先主伝 222 荊州南郡夷道県 2月、夷道に進軍。馬良?を派遣して武陵郡の蛮族を慰撫。黄権?を夷陵に派遣して呉軍に対峙させる。 蜀書・先主伝 222 益州巴郡永安県 6月、陸遜に破られて魚腹に退却。魚腹を永安と改名する。 蜀書・先主伝 222 荊州南郡巫県 8月、巫県に移動。 蜀書・先主伝 222 荊州南郡巫県 10月、孫権と和睦。 蜀書・先主伝 223 益州巴郡永安県 3月、諸葛亮に後事を託す。 蜀書・先主伝 223 益州巴郡永安県 4月、永安で死去。諡号は昭烈皇帝。 蜀書・先主伝 備考 先主伝の注に張純?討伐に従軍し、後に軍功で安熹県の尉になったとあるが、張純の反乱は187-188のことで黄巾の乱のかなり後である。 同じく注に曹操と共に洛陽を脱出し沛で反董卓?の挙兵をしたとある。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokusisenki/pages/16.html
劉備編 シナリオチャート 桃園の義 ↓ 客将の名は呂布 ↓ ↓ ↓ 呂布の逆襲 呂布、下邳を攻める 呂布との共同戦線 ↓ ↓ ↓ 関羽千里行 狂虎 呂奉先 ↓ ↓ 荊州攻防 呂布再び ↓ ↓ ↓ ↓ 孔明の出盧 荊州を攻略せよ 敵は呂布と曹操 呂布、宮廷乱入 ↓ ↓ ↓ ↓ 孔明、呉へ向かう 大義と小義 荊州に輝く星 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 奸雄、天命未だ尽きず 孔明の提案B 呉とともに蜀へ 孔明、劉備に感服すB 孔明、劉備に感服すA 孔明の提案A 悲しみの孫尚香 ↓ →(西涼・荊州連合成立または孫尚香参陣へ) ↓ ← ↓ ←↓ ↓ 劉備、蜀へ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 劉璋との反目 ↓ 孫尚香参陣 西涼・荊州連合成立 玉璽のための戦争 ↓ ↓ ↓ ← ↓ ↓ ↓ ↓ 天下三分成立 孫尚香帰還 錦馬超、帰順B 錦馬超、帰順A 馬超敗れる ↓→(漢中王劉備Bへ) (呉との決別Aへ)←↓ ↓ ↓ ↓ 呉との決別B 呉との決別A 漢中王劉備B 漢中王劉備A 劉備の決意 孫尚香の想い ↓→ ←↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 関羽孤立 関羽北伐成功 対魏共同作戦 天下への舞 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 関羽救出 三国鼎立(劉備) 天下二分 天下統一 南北朝 攻略 劉備編はとにかく序盤が辛い 序盤で徐庶が取れないとほぼ詰む 徐庶さえ取ってしまえばあとは捕縛で戦力増強を狙いたい(序盤は張遼、陳宮。中盤は田豊、荀彧、徐晃、沮授など) 中盤は大抵曹操軍との戦いになる。曹操軍は強力な軍師が多数出てくるので陥穽、挑発されないようにしたい。仲間に満龍、陳宮などの陥穽、挑発持ちがいると心強い。また、序盤に率先的に曹操と戦って武将を捕縛して戦力を削っていきたい(終盤になると相手も階級が上がり捕縛が難しくなるため。また、劉備編のラスボス勢力は100%曹操なので弱らせておいて損はない)。 シナリオ全体的の総評としては猛将は仲間になりやすいが、強力な軍師がなかなか仲間にならず、終始軍師不足に悩むことになる。捕縛しなければ徐庶、諸葛亮、龐統、法正くらいしか強力な軍師は仲間に出来ないのでシナリオ難易度は曹操編に比べやや高い。
https://w.atwiki.jp/sangokukmy9/pages/34.html
トップページ 人物名鑑 劉備 劉備 ラインハルト来期どうしようかな? ちなみにおいらのパンツは黒猫ちゃん おいらのスク水くんかくんか HEYガーイズ!! はーわーゆー? 通名 劉備 紹介 おしゃべり大好き 迷言メーカー(要出典) パチンコ大好き 猫大好き フットワーク軽い プレイ傾向 主に武官 0.1期からまばらに参戦しているが0.3期の途中で突然の引退宣言 正規版2期から復帰。3期にしてようやくKMY向きのコマ入れを学んだ 活躍したシーン 経歴 テスト期0.1期より参戦。 正式版 第3期 - 2019/09/08 20 00 ~ 第2期 - 2019/08/23 20 00 ~ 2019/08/07 00 23 武将名:軍師なんてやらん ジョブ:武家武官 仕官国家:君主なんてやらん 役職: 第1期 - 2019/07/22 20 00 ~ 2019/08/21 21 00 武将名:この世の終わり ジョブ:武家武官 仕官国家: 役職: テスト期 0.9期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.8期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.7期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.6期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.5期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.4期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.3期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.2期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: 0.1期 武将名: ジョブ: 士官国家: 役職: ▶ このページを編集 更新日時 2019-09-12 21 41 12 (Thu) コメント 名前